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『こどもスプーン』
輪島キリモト・モノ物語

『こどもスプーン』

人と“さじ”にまつわる「ヒトさじの話」 さまざまな作り手の“手”を経て それぞれの“思い”とともに“さじ”が生まれる。 コド・モノ・コト増田多未さんのお話です。

その1・学生時代〜社会へ

” 良いモノでも使い方によって、
  モノが良くもなるし、そうでないモノにもなる ”

コド・モノ・コトを通して、モノづくりやワークショップなどの活動をしている増田さん。
学生時代はどんなことをされていたんですか?

女子美術短期大学の生活デザイン科で、2年生になるとグラフィックと木工と陶磁と金工に分かれるのね。それで木工を選んで、最初の課題で升を作ったんだけど、ああいうの好きで (笑)
組むところをどれだけ丁寧にやるかみたいな。ピシーッとなると気持ちいい!ずっと箱を作っていたいと思ってた。あとは集成材でスツールを作ったり、ブナコのトレイにカシュー漆を塗ったりという課題もありました。

その後は就職活動をされたのですか?

専攻科に残って、木工をもう一年やって。
まだ全然子供だし、こんなんでやっていけるのかなって思いながら就職活動をしていて…
デザインも分かってなかったし、卒業する半年くらい前に、木のおもちゃを作る課題があったときに、ちょうど木製玩具輸入代理店AN社の展示会をやっていて、見に行ったんです。真っ白い空間におもちゃが並んでいて、ひとつひとつのクオリティが高く、こういうモノが世の中に存在しているんだってことにすごい感動しました。それで、学校に募集がきていたのを友達が教えてくれて、面接を受けに行ったんです。
私にとって転機になった人が、そのAN社の社長で、日本でプラスチックのおもちゃが全盛だった頃、ヨーロッパの木のおもちゃを日本に最初に持って来た人で、海外のメーカーを一軒ずつ回って、日本の人達にこのおもちゃを紹介したいから取引させて欲しいって説得して始めた方なんですね。

どんな仕事をされていたんですか?

国内取扱い店の営業や商品管理、流通などを。
10社ぐらい担当メーカーを持って在庫管理とか検品、注文を出したり、年間どういうペースで何が売れているか把握するとか…
小さい会社で、社長が女性だからこそ、社会で女性が働くのは大変なのよっていうのが前提にあって、「仕事の全体の流れを見なさい」っていうことをすごく言われてた。それまでなんとなく生きて来た自分がいて、何にも考えないでここまで来たなと思って、だから会社に入って、違う人になるくらいの気持ちでいたから、けっこう何があっても、あぁそんなもんなんだってやっていたと思う。

そこで新たな増田さんが誕生したんですね。

そうね、考え方にすごく影響を受けました。そういうモノに出会ったっていうのと、その周りにいる人たちを知って、全然違う世界が楽しかった。

会社に7年勤められて、その後また学ばれているんですよね?

あんまり学校好きじゃないんですが… でも、はい、学びました。
玉川大学教育学部の通信でこどもの発達心理学とか子どもに関する授業を選択して。
その後、桑沢デザイン研究所Ⅱ部のプロダクトデザインコースにも行きました。

会社を辞めると決めたのは、なにかきっかけがあったのでしょうか?

二つ道があるなと思って。この仕事のプロになる道と、そうじゃない道が。
モノを売っていると、子どものモノや木のモノが受け入れられづらく、子どもという存在がちゃんと理解されてないんじゃないかと感じる場面があったんですね。その疑問が大きくなっていました。いくら良いモノでも使い方によって、モノが良くもなるし、そうでないモノにもなるっていうのを感じていて。
社内にいると作っている背景やメーカーのことも段々わかってきて、それを伝えたり、まだ知らないこともたくさんあるなと思ったんだけど、もう一つ違う方に行こうって決めたのは、その時に祖父が亡くなって、思うことをやらなきゃ!って。
まだ二十代だし、エネルギーもあって、辞めたんだよね。

当時のカタログ。
当時のカタログ。

その2・コド・モノ・コト〜《さじ》誕生

” 「なかったら自分でつくればいいよね」 “

改めてデザインを学ばれて、コド・モノ・コトへと繋がっていくのですね。

子どもとデザインと伝えるという意味での教育と、その辺のことをやっている人がいないのかなって。どっかにいるに違いないって思いながら、アルバイトで子どもの造形教室や、ワークショップに関わったりしている中で、リビングデザインセンターOZONEの《デザインと遊ぼう、OZONEの夏休み》というイベントが目に留まって、この企画をしている人なら、いろいろ情報を知っているに違いないと思って問合せたら、その展示の責任者として萩原修さんが出て来たんだよね。
萩原さんに子どもとデザインと伝えることの3つをやっている所はありませんか?って聞いたら、「ないよね… なかったら自分でつくればいいよね」って。成行きでそのイベントも手伝うことになり、ドリルデザインとか、マウンテンマウンテン時代の山崎宏さん、村澤一晃さん……今まで知らなかったデザインの世界の人たちに出会ったんです。
そこから翌年の「《くらしもの見本市2004》の事務局をやりませんか? 増田さんがやりたいことと繋がると思う」って言われて、え〜!って。
それでその時に、AN社の社長に相談に乗っていただいたのね。「それで”自分でコツコツやっていくやり方“と”出会った人を大事にしていくやり方“両方あるわよね」ってアドバイスをいただきました。
どっちが良いとは言われなかったけど、後者の方をやってみようと思って。それまで探してみたけど、当てが無かったし、そっちに何があるか分からないけどやってみようって。出展者の中に桐本さんや大治さんもいて、錚々たる顔ぶれでした。

そして、その一年後にはコド・モノ・コトの活動も始まる…

萩原さんが大治さんや発足メンバーを呼び入れて、打合せを重ねながら2005年5月5日に発表することになって、大治さんは《こども椅子》のデザインで、「増田さんは《さじ》ね」って。
そのとき、萩原さんは「コドモノモノ」にしたかったんです。でも私は、モノを売ってきた経験から、モノだけじゃダメで、つながりとかコトの意味を含む「コドモノコト」が良いって言い張って。
萩原さんが一回トイレに行って戻って来たら、じゃあそうしようって活動名が決まりました。
それで、そもそも何で《さじ》を作ろうってなったかと言うと、会社を辞めて子どもに関する勉強をしていた頃に、手で使う道具をちゃんと作りたいと思っていて、子どもと関わるもので、おもちゃじゃなくて用途がある道具を、人の動きを考えながら作れないかなと思って、じゃあ《さじ》だって思い立ちました。
持つのは大人で、食べる相手は子供で別の人で、二人の人が使うっていうのが結構大変なことだよなと思って。道具の形がそれをサポート出来るかどうかを考えたいと思って模型をいっぱい作っていたんですよ。
友達の子供が生まれたら会いに行って、ご飯食べているところ見させてもらったりとか、離乳食講座があると行ってみたりとか。そうしているうちに素材を何で作るのか考えて、木にしようって思うんだけど、衛生面や仕上げが赤ちゃんの口に良いか納得出来なくて…
一回もう辞めたと思って封印したんです。

それを萩原さんが掘り起こしたんですね。

萩原さんに《さじ》の模型を見せたことがあって、それを覚えてて、「増田さん《さじ》ね。桐本さんに作ってもらえば?」って言われて。その当時、萩原さんは桐本さんと出会い、漆の存在が大きい時期だったようです。
それまで漆って全然考えてなかったけど、本で勉強すると、ああすごい!漆ってすごいんだって気づいて、私が問題にしていた衛生面はクリア出来るし、この世に道具として使えるものが出来ること自体がすごいことだと思って、桐本さんに作っていただけるならと、シンプルに削ぎ落とした形にデザインし直して。

当時のカタログ。
この他にもたくさんの《さじ》の模型を見せていただきました。

その3・《こどもスプーン》のこと

” 完成までの工程がどの段階も綺麗 “

実際に《こどもスプーン》が出来てきたときはどうでしたか?

最初は、漆で出来て来たっていうこと自体が感動で。形になって誰かが使ってくれる、自分のものじゃなくなって繋がって行く感じがした。友達がメキシコに行くから贈り物であげるとか、アメリカでとか、日本じゃない国にも《さじ》は行って、その土地で赤ちゃんが使ってくれる。

形や仕上げのポイントはありますか?

形のポイントは、横から掴めるところ。鉛筆的な持ち方をすると、手首の動く範囲が広くなるから持ち手の裏にもちょっと膨らみがあって、厚みがあるところと角度が大事。
《さじ》ってなんとなく生き物っぽくて可愛らしい感がある。だから、最後の最後は、立てて見て可愛いかどうかで形のバランスを見ました。仕上げは、上塗はそれだけでやっぱり美しい。最終的に蒔地にした決め手は強度で、このザラザラ感がどうかなと思ったけど、逆にそれは特徴としていいんじゃないかなと。
赤ちゃんはガジガジ噛むから強度は重要だと思ってます。

販売から10年が経ち、形が少しリニューアルされましたがいかがでしょうか?

骨太になって頼もしくなったなって。小さい子供と手をつなぐと、女の子の手と男の子の手は骨の太さが違う感じがあって、《さじ》もそういう感じ。初代は華奢なちっちゃい女の子の感じで、二代目はたくましい、丈夫に育って行く男の子の感じ。
一昨年輪島に行って、木地を手掛けている谷さんとやりとりをして、それがすごく面白かった。私はどこをどのくらい削るかという指示は出せないけど、こうしたいっていう形があって、もうちょっとシャープさが和らぐ感じでとか、ここはもったり感があるような気がするんですとか。そのニュアンスを言っていくと、谷さんが「ああ、わかった」って削ってくれて。それを何度も何度もくり返して一緒に形を作っていきました。その作っている形がずーっと美しいなぁって。完成までの工程がどの段階も綺麗で、表には出ないけど、こういう美しいものを作れる人達ってそうなんだなっていう感じがしました。
線を引くと、その線の内か外かでも全然違っちゃうし、谷さんがそういう感覚やセンスを幅広く持っていて、柔らかい形も作れるし、シャープな形も作れるし、研ぎすまされた感覚の中でいつも仕事されてるんだなって思いました。

どんな人に使ってもらいたいですか?

やっぱり赤ちゃん。赤ちゃんを育てる人の手に渡ってほしい。どんどん新しい人が生まれてくるってすごいなって思う。
赤ちゃんを育てるのは大変なことで、少しでも力になりたい。このスプーンだとよく食べてくれるとか、お薬を飲ませるときいいとか、そういう話を聞くと嬉しい。すくう道具、すくって運ぶ道具。その機能を淡々と果たしてくれて、これがずーっと続く、私がいなくなっても続いてくれたらいいなって思う。

(左から)荒取りした木地、仕上げた木地、初代こどもスプーン、二代目こどもスプーン
(左から)荒取りした木地、仕上げた木地、初代こどもスプーン、二代目こどもスプーン

その4・漆のこと、これからのこと

” 使い手と作り手の中間にいる立場として出来ること “

漆について思うことはありますか?

漆って自然なもので、それで製品を作れるのがどれだけすごい事かっていうのがもっとみんなに伝わってほしいなって思う。木も含めて自然物だから完成させるのが難しいはずで、同じ形を複数作れる、それがこの値段で存在することの価値が伝わってほしいです。多くの人が漆の良さを分かってくれたら良いなって思います。

これからコド・モノ・コトでやりたいことはありますか?

始めた最初にいろいろ話していた事、疑問に思っていた事をもう一回思い出して、そこから共感出来る人とモノづくりするのであればそこから始めたい。あと、10年積み重ねて来たものがあるから、モノは途絶えないようにしなきゃいけないって思う。
それは、AN社で学んだことが大きくて、一回途絶えてしまうと同じレベルでは復活しないので、いろんな事情で作り続けられなくなる事はあるんだけど、そこをフォローするっていうか、使い手と作り手との中間にいる立場として出来る事があるなと。そういう役割で何が出来るのかなっていうのを改めて考え直したいと思っています。

「こぐ・コドモといっしょの道具の店」ロゴ
《こどもスプーン》は、増田さんが代表を務める「こぐ・コドモといっしょの道具の店」のロゴに。
こどもスプーン

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