その1・幼少期〜モノづくりに携わるまで
"「プロダクトしかしない。やった事無いけど出来ます!」"
━━━ 今の大治さんに辿り着くまでを教えて下さい。
- 小さい頃の夢は絵描きだった。
- 幼稚園で絵を描いたら賞をもらうでしょ。それでいいなぁって。
- その後書道に出会って、書道もいいなぁって。でも小学3年でスランプになって、自分が思っているものと、技術不足の乖離が始まって、なんでやねん!って思ってやめて。
- でも、高校のときに出会った書道の先生がめちゃくちゃ面白い人で、書道って習い事じゃなくてアートなんだということが分かって、誰に見せたいのか、どんなものが書きたいのか、上手くなくていいんだって教えてもらった。それで、書道科に行きたかったんだけど、きっちり書く試験もあって、そんなん書けんからやめたーって。
- それで、家から一番近い広島工業大学の建築学科が、環境デザイン学科っていう名前に変わって、なんかちょっとシャレてるやんって、デザインとか全然興味ないのに入って。
- ゼミ決めるタイミングで、すごい面白いじゃん!って。
━━━ 面白さが後からついてくるというか、割と...
- 適当。(笑)
- プロダクトもそうだもん。大学出た後に一度東京の建築事務所に入ったんだけど、大きい俯瞰のモノって全然わからなかったし、施工になるとものすごい細かくなるじゃない?
- 窓の断面がこうなってとか、断熱がこう入ってとか、全然面白くないと思って辞めて。
- ちょうどmacが安くなった頃で、イラストレーターやフォトショップを教えてくれた幼なじみが広島にいて、そいつは就職してたんだけど、パソコンあるから何でも作れるよねって言って、いいからお前も辞めろって仕事辞めさせてグラフィック事務所を作ったんだよね。
- でも若手デザイナー二人って言っても、仕事なんか無いしどうすんべって言って、印刷のことなら分かるから何か作って売ってみようぜってノート作って。それが結構ちゃんと売れて、モノってこういう風になるんだとか、流通していくことも面白いなと思って。
- おれプロダクトやるわ! みたいな。
━━━ 桐本とはいつ出会ったのでしょうか?
- リビングデザインの表紙に《すぎ椀》が載ってて、伝統工芸だけど、ここまでキテルものって無いなと思って。それが結構衝撃的で。
- その後、桐本さんが《いつものうるし》を作っていて、息子が7ヶ月のときに萩原修さんの家に連れて行ったのが始まり。そのとき桐本さんは居なかったんだけど、出版パーティーに行ったら、なんかでっかい人いるな、怖いなーって。(笑)
━━━ 《いつものうるし》の出版が2005年でした。
その一年前、OZONEの《くらしもの見本市》に大治さんも出られてますよね?
- まだ広島にいて、オリジナルで作ってるモノを持って出展してた。
- それから30歳で東京に来て、それまでプロダクトのキャリアがなくてグラフィックしかしてなかったんだけど、グラフィックを受けて飯を食うのは簡単だし、広島でやってきた仕事を引きずってたら、結局こっちで仕事はもらえないと思ったから断ったんですよ、全部。
- それで、グラフィック単品だけではやらない、広島でやってきた仕事もパートナーに全部引継いでもらって、すっからかんで東京に来て、すごい清々してて。
- でも、嫁も子供も連れて来てるから、あの修さんでさえも慌てていて「どうすんの?」って。
- 「いや、プロダクトしかしないです。やった事無いけど出来ます!」って。それを修さんが面白がって、可愛がってくれたんだよね。じゃあこういう会があるから来てみる?って。
- ハッピっていう小泉さんとか南雲さんとか大御所デザイナーグループに放り込まれて...
- そのときに台東区デザイナーズヴィレッジの体育館で展示会をしたんです。僕は展示はしてないんだけど、その一企画で風鈴のコンペをして、いいものは商品化しましょうっていうのがあって。そこになぜか紛れ込んでいて商品化したんですよ。それが能作さんのタンポポで、東京に来て初めてのプロダクト。
- それがきっかけで高岡にご縁が出来て、二上さんに出会った。
- プロダクトをやったことが無くて、でも関わるなら一式やらせて下さいというスタンスで。
- その初の例が掃印なんだけど、モノも作って、ロゴも作って、パッケージも作って。
━━━ コド・モノ・コトのコップも同じくらいの時期ですよね?
- 2004年に東京に来て、その年はずっと打合せをしてるんですよ。
- 修さんと増田さんと僕で始めて。
- その中で、ガラスのコップってどうやって作れるのかな?と思って。今でも富山ガラス工房の高梨良子さんに作ってもらってるんだけど、3日ぐらい泊まって一緒にやりながら作って。
- 手仕事でもこういう事出来るんだなって思った。そういう風に揉まれながら...
その2・輪島キリモトとのモノづくり〜《レンゲ》誕生
" その時に必要なモノを作らないと意味がない "
" キリモトで出来る事で、そこにある素材で "
━━━ 輪島キリモトとの最初のモノづくりは?。
- その頃僕はいつもポートフォリオを持ち歩いてて、コンペの作品しか無いんだけど、出会った人にこういうことやっているって話してて、桐本さんがすごい気にいってくれて、「面白いね、大丈夫だよ!」って。飲み会とかで緒先輩方に「お前どうするんだ?」とかって怒られてると、桐本さんが遠くで「大治は大丈夫やぞ!」って大きい声で言ってくれてた。
- それから、ミキモトでデザイナーと商品開発を一緒に出来ないかという話があって、修さんがマッチングしたのかな? 大治くんは桐本さんねと。そのときに初めて輪島に行って、話を聞いていく中で、表面張力みたいな蓋ものを作りたくて出来たのが《ミナモ》だった。
━━━ その後、インテリアライフスタイルで《日持ち箱/隅丸盆》が、
少し間が空いて《日々重/あすなろの箱シリーズ》が誕生して...
- そう、桐本さんと飲んでて、僕がやるんだったらディレクションもやるようなことじゃないと、やりたくないですと言ってて。いろいろなデザイナーさんとやっているから僕はもういいですよね?て聞いたら、「いや大治とやりたいんや!」と。
- それだったらちゃんやりましょうと。
━━━ 新作の《レンゲ》は、大治さん、古庄さん、東京スタッフの企画から生まれました。
- うるしの事務室で《きじ展》をやって、その流れで《はこ展/さじ展》をやろうよって。
- じゃあ何がいるかな?っていう話から、古庄さんがぼそっと「レンゲ?」って言って、「レンゲだ!!」って。
- 僕的にはキリモトのスプーンは西洋の形を意識していて、それを漆で作れるというところが使いやすくていいんだけど、昔からの日本の形を引き継いで、今でもめちゃめちゃ使いやすいものを作りたいなと思って。
- 色々な文献や世界の博物館で見てきたスプーンや古い漆の《さじ》の資料を参考に作ったんだけど、この形にしようっていうのはあまり迷ってなくて、スッと出来たかな。
- これまでキリモトで作らせてもらったやつで、直接口を付けるのってぐい呑みぐらいだったから、《さじ》か椀をやりたくて、でもどっちも商品がめちゃくちゃあるから、どうやったら作れるんだろうと。この企画がおりてきて、よっしゃ!て感じ。モノっていろんな企画のタイミングだったり、その時に必要なものを作らないと意味がないから、むりくり作るっていうのは僕の中では無い話なんだ。だからよかったなぁと。
- 特に《さじ》は、キリモトが得意としている技術だし、椀は椀木地師に出しちゃうけど、これはキリモトの中で削って塗れて、そこで完結して、らしいものが出来るというか。
━━━ 大治さんはこの《レンゲ》で何を食べますか?
- スープかなぁ。おかゆやおじやは家でそんなに食べないし、カレーはあまりイメージしてないなぁ。なんか優しいもの。漆が他の素材と圧倒的に違うのってやっぱり触感だからさ。一番口につけて気持ちいいというか、他のモノって普段は意識しないけど、冷たかったり固かったりする。漆が一番ちょうどいい。
━━━ どんな人に使ってもらいたいですか?
- 普段時自分が使う事しか考えてないんだ。
- 僕やかみさんが使って、いい風景だったらいいなぁとか。疲れているときに木のモノ、漆のモノってすごいちょうどいい、ありがたいっていうか。そういうときに癒されるものがいいなと。軽いし口当りも優しいし、そんなモノを作りたい。
- 今までやってきた商品も、キリモトだから出来ることにフォーカスしていて、漆だから木だからというところではなくて、キリモトで出来る事で、そこにある素材でやりたいなって。
▲模型から試作、職人とのやりとりを重ねて《レンゲ》は誕生しました。
その3・大治将典の仕事
" 今そこにある問題を聞いて、
こうやったらひっくり返るよっていうことを一緒に見つける "
━━━ 他の作り手さんとモノづくりをする時はどういうところから始まるのですか?
- 開発に入るときにモノは作らない。
- プロジェクトがゼロから始まるやつは、社長と飲みながら話して、一番最初に作るのは商品につけるカード。パッケージを開けたら何かしらカードがついてるじゃないですか。それにはロゴやどういう思いで作っているかというのが載っていて、お客様に宣言する《お手紙》。自分たちはこういうことをして行きますと。
- ブランドマークは、モノが出来る前のブランドの考えのカタチ化。こういう考え方でやろうという旗みたいなもので、プロジェクトって、あっち行ったりこっち行ったりするんだけど、これを最初に作っておくと思い出してまた戻れる。
- 特に伝統工芸で補助金がおりる時って、儲からなくても良いから面白い事やろうよ!ってなるじゃん? でも、使い手としては面白いモノでは無くて、使いたいモノが欲しいから、それを最初によく話してマークを作っておくと、こういう話をしましたよね?って戻れる。
━━━ 好きな作業が「人を焚きつける」?
- チャッカマン。社長と飲んで、今そこにある問題を聞いて、こうやったらひっくり返るよっていうことを一緒に見つけて、あ〜そうかも!ってなる。そこにモノが出来る作業の半分くらいのクオリティがある。
- デザイナーの仕事じゃないかもしれないけど、大治のやり方としてはそれが一番楽しい。その後に自分のデザインの作業に入っていくのも楽しいけど、モノを作っていく作業は大変よ。
━━━ やるぞ!という時のスイッチの入れ方はありますか?
- 全然スイッチ入らない。ダラダラしてる。(笑)
- 打合せに行って、社長と一緒に飲んだ帰りの電車とかが勝負なんです。そのときにネタが出てないとダメで。だからそこですごいがんばってる。持ち帰ってがんばりますっていうのは別に対した事じゃない。打合せでもそこで勝負決めて帰ろうと思うし、何かしらの答えを出そうと思ってる。
━━━ 何も浮かばない!という時もありますか?そんな時は... ?
- あるある。漆なんて全然浮かばない!(笑)
- 浮かばないときはグラフィックの仕事をします。ちまちましてるのが好き。名刺を作ったりとか、エディトリアルとか、本当はめちゃめちゃ好きなんですよ。細かい文字組みとか、カーニング詰めたりとかすると紙面全体がすごい綺麗になっていくのが分かるから。
その4・漆のこと
" その素材において『ちょうど良いもの』 "
━━━ 漆について思うことはありますか?
- 漆は、キリモトだけでなく多分相当過渡期っていうか、もしかしたら30年後とかに無くなる可能性さえもあるというか。あまりにも分かりにくいし、効率も悪い。だから、生き残る為にはその素材において『ちょうど良いもの』を探さないといけないと思うんだよね。
- 例えば、帆布って、一番最初は西洋から機械が入って、なんでも作る為の資材だった。大きい幕を作って、帆になって、トラックのホロや袋になって。でもその後にナイロンが出来て、軽いし防水性もいいから廃れていっちゃう。
- そして今ちょうどよかったのがトートバッグだった。ナイロンより重いけど、ファッションとしても使えるし、味が出てくるし、気持ちいいしというところで、たぶんバッグというのがちょうどいい落としどころだったんだと思う。
- だから漆も、漆っていう作り方で何か使えるものって何? カタチの前に何作る?
- 限られた中で突破できることって何だろう?っていうことをすごく考えたら可能性はゼロではないと思ってる。
▲口に直接触れる《レンゲ》は、漆だから『ちょうど良い』