漆器作りを基礎から支える大切な木地づくり
日本海に面した石川県・輪島市。
漆器の産地でもあるこの土地では、「塗師屋 ぬしや」と言われる産地をとりまとめる親方衆から仕事が始まります。お客さんからの注文を取り、協力工房への発注・デザイン・プロデュース・販売を一手に請け負っているのです。そこから「木地 きじ」「下地 したじ」「上塗 うわぬり」「研ぎ とぎ」「蒔絵 まきえ」「沈金 ちんきん」「呂色 ろいろ」など細かく分業された専門の職人の手を渡り、1つのモノがつくられていきます。
その中でも「木地」は、つくるものによって4つに分かれています。
椀木地
ケヤキ・みずめ桜・トチ・クリを用い、轆轤を使って椀・皿・盆などをつくる。
曲物木地
アテ、ヒバ、ヒノキの柾目を用い、丸盆やおひつなど、側面の板を曲げてつくる。
指物木地
アテ、シナ工芸板を用い、重箱や膳、硯箱など板を組み合わせてつくる。
朴木地
指物木地より分離したもの。猫脚・仏具・匙など木を刳り出してつくる。主に「朴 ほお」の木を使うため、この名前がついた。
受け継がれてきた木のしごと
輪島キリモト・桐本木工所は、漆器から木地にいたるまで約 200 年以上モノ作りに関わっています。 そんな桐本の原点は「木」の仕事にあるようです。
江戸時代末期から漆器製造業を生業とし、塗師を経てきた桐本家の先代。昭和の初め、輪島の朝市通りで知られる本町通りの中程に、桐本木工所・初代久幸が自宅兼工房であるその場所で「朴木地屋」として独立をしました。適度な堅さと加工性を持つ「朴」を使い、猫足、屈足、仏具、神具、匙、しゃもじなどといった「木を刳る」ことで生まれる複雑な木地加工を専門に手がける仕事です。決して広くはないその工房で、腕の良い職人たちと共に早朝から夜遅くまで木地を作り続けました。その仕事ぶりは、冬のカンナ削りで、頭から湯気が出るほどの集中力だったそうです。
そんな父の姿を見てきた二代目俊兵衛は、高校卒業後すぐに家業を継ぎました。
昭和30年代後半から40年代の高度経済成長期に、和室、洋室家具全般までも手がける設備投資を行い、倉庫や新工場を少しずつ整えていきます。
そして、三代目泰一は大学でプロダクトを専攻、企業でオフィスプランニングに携わった後、輪島に帰郷。木地業の弟子修行を4年半行い、代表者である俊兵衛の経営補佐をしながら、木地業からの造形提案、デザイン提案、漆器監修などを始めました。木地の職人だけでなく、漆を専門に手がける職人も加わったことで、桐本木工所の領域はさらに広がります。産地内の創り手たちとの交流、都市部で暮らしを愉しむデザイナーとの取り組み、生活の中で木や漆が当たり前に使ってもらえるようにと、さまざまな可能性に挑戦しています。